大規模修繕工事新聞22年12月号(No.156)
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 江戸時代後期の平戸藩主に松浦静山という人がいます。彼が若い時、同輩の大名である津軽、池田と三人で松浦の屋敷で飲んだときのこと。 以下、わかりやすいように現代風に訳してみました(笑)。 宴席に、東京一の美女を呼んで朝まで痛飲。二人が帰った後、シャワーを浴びただけで、将軍家警護に出勤。仕事が無事終わり、やれやれと思っていたところへ大火発生で、火はこちらへ迫る勢い。「いざ、外様の働きをお目に掛けん!」と思っていたら、非番だった津軽も駆けつけてきたので、しばらく待機した後、とりあえず、二人で仮眠。津軽が、「君と寝るのは興醒めだが、昨日の美人を見た報いだ」などと軽口を叩いているところへ、池田からメールが来て、「昨日は有難う。俺は今、違う部署にいるが、俺も君たち二人と待機したいよ」などと言ってきた。火事が収まり、帰宅したら3日寝てないので、ふらふらになって、倒れ込むように寝たと…若い頃はこういう話の一つもあっていい。 さて、その静山が聞いた話として、某大名が遊廓で、「今日はフグ汁を出せ」と命じたという話があります。店としては、相手が相手でもあり、「あれは毒の恐れがありますれば」と断わるが、「毒か、おもしろい」と言って聞く耳を持たず…いつの時代もこういう困ったお得意様はいるものです。 しかも、当然、こういう身分の人であれば、単身での来店のはずもなく、従者の皆々様もいるわけで。彼らとしても、本音では食べたくないが、殿様だけ食べさせて、自分たちはいらないとは言えないから、下手をすれば、御一行様全滅などということにもなりかねず。もし、そんなことになったら、いくら、「毒があるからダメと言った」と主張しても、遺族の中には、必ず、「それを御止めするのが、まことの忠義というものであろう!」などと言う人が出てくるんですよ。 で、この店はどうしたか?大名にだけは本物のフグを出し、従者には同じ味付けでコチという無毒の魚を出したと。なるほど、これで店としても、大名の機嫌を損ねることなく、内心では食べたくないお供の者らへの気配り…と思いきや、万一、毒に当たった時に、「フグを出せと言われましたが、実は手前どもの一存で、お出ししたのは無毒のコチでござりました。その証拠に、従者の方々は誰も毒に当たっておらぬではないですか」と言い逃れするための責任回避策だったと。 なるほど、商売人の知恵ですね。でも、そう考えれば、隣で同じ皿の物を食べている人が、果たして、本当に同じ物を食べているのかはわからないということですね。あるいは、似ているだけで、まったく違う物を食べているのかも。(文:小説家・池田平太郎/絵:吉田たつちか)-15 -

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