大規模修繕工事新聞22年7月号(No.151)
4/61

 長崎県の端島(通称:軍艦島)は遠くから見ると戦艦「土佐」にシルエットが似ていると言われ、夜になると建物は見えないので、本当に軍監そのものに見えます。夕刻になると夕日が西の方へ沈んでいく太陽の中にちょうど軍艦島が現れるような、そんな景観になります。 軍艦島は2014年10月に「高島炭鉱跡」として文化財保護の「国史跡」指定を受け、翌2015年7月に「世界文化遺産」登録がなされました。 ただ、この建築物群は資産として認められていませんが、ちゃんと保存をしていく手当てを講じていくことは認められていて、ほったらかしにしているものではありません。 位置づけとして難しいところはあるのですが、ぜひ、この建築物群を何とか保存できるものにしていきたいという思いでいるところです。 1916年に建てられた30号棟は最初に建てられた鉄筋コンクリート造の建物で7階建てです。4階建てを最初に建てて、その後に上に3階を増築しています。日本初の鉄筋コンクリート造の高層アパートという扱いになっています。 それに続いて16号棟~ 20号棟(1918 ~ 1922年)、最後に山の頂上にある3号棟(1959年)が立てられました。 30号棟ですが、2014年6月時点でサビ汁も出てきているし、鉄筋も露出しているという状況でした。8年後の2022年4月時では、さらに屋上のスラブ、壁、梁が崩落してしまっています。地盤沈下も来たしているようです。 内部をみても床や梁が崩落し、アトリウムのような吹き抜け空間になってしまっています。 30号棟が崩落している原因は屋上の防水層が切れてしまったことにあります。結局、ガラスもありませんから雨水や海水30号棟が入り込んで、屋上はアスファルト防でが、それが切れてしまったために水が入り込んで、コンクリートがボロボロになってしまったのです。 65号棟(1949年)は軍艦島の建築群の中で一番大きな建物ですが、風と共に塩分が通る道筋になっていました。一昨年、私たちが建物の入口にしていた部分が2階のバルコニー部分が崩れ落ちて、出入口は塞がれてしまいました。 このように考えると、建物の中に入ったり、近づくことすら危険極まりない状態に今陥っています。 70号棟(1957年) は小中学校として使われていた7階建ての建物です。2014年には最上階まで行けましたが、2019年10月の撮影時には最上階がつぶれ、さらに劣化が進行しています。最上階は体育館でした。ペシャンコになって、その荷重が6階のスラブにかかってくると思われ、いつまで持つかということが危惧されています。 一番新しい3号棟も2014年と2019年の写真を見比べると、2019年は建物の向こう側が透けて見えるようになりました。軍艦島に訪問するたびに建物から向こうの空が見えるという状況が増えてきています。 このような建築群はあと何年持つのでしょうか?われわれ研究者は毎年上陸しています。毎年見るたびに劣化が進行しているのは間違いありません。 6月15・16・17日 東京ビッグサイト㈱テツアドー出版に事務局をおく建築再生展組織委員会事務局は6月15・16・17日の3日間、東京ビッグサイトで「第26回R&Rリフォーム&リニューアル建築再生展2022」を開催しました。コロナ禍などの影響で中止・オンライン化としていましたが、2年ぶりに現地での開催となりました。マンション大規模修繕工事関連企業を含め、90社・団体、パネル展示18団体が展示ブースを開設。入場登録者数は3日間で約2万人超となりました。-4 -

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る